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水野南北は「悪い人相でも、食の慎み・倹約によって良い人相に変わる」と言います。
以前読んだ人相の本からすると、私は良い人相とは言えないです。(苦労が多い相がいくつもあった)
悩んだこともありましたが、南北の考えを知って気持ちが楽になりました。
人相が悪いからといって悩むのは時間の無駄ですし、無駄な占い・開運法に手を出す危険性もあります。(私は耳が痛いです)
水野南北の考えは、私のように人相が悪い人にとって救いになります。
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貧乏・短命の人相でも、食を慎めば財産・長寿を得る
(修身録一巻)
少食の人は、人相が悪くても運勢は良く、それなりに幸せな人生を送り、長生きする。
晩年は特に吉。
食事の内容が自分の生活水準より低い粗食をしている人は、貧乏の人相でも、相応の財産を得て、長生きし晩年は幸せである。
少食・粗食を厳重に守る人は、人相が悪くても、財産を得て出世する。
家は安泰で、晩年は吉である。
少食を厳重に守る人は、たとえ貧乏で人相が悪くても、相応の幸せがあり長生きする。
何事も順調になり、晩年は吉である。
外見は弱々しく見えても、病気とは無縁である。
三年間、食を慎む
(修身録一巻)
晩年が非常に悪いという相でも、若い時から食を慎み、倹約する人は、年を取って必ず幸せになり、晩年の災難を逃れる。
いつも慎んで、若い時の徳を晩年に残す時は、晩年の悪い運勢から必ず逃れる。
晩年になってからでも、三年間食を慎めば、たとえ餓死する相があってもそれを逃れる。
そういう人を私は数名知っている。
年を取って人相が悪い人は、食を慎み、老後を楽しみなさい。
倹約は吉
(修身録一巻)
貧乏・短命の人相でも、自分の生活水準から見て少食であれば、短命・貧乏ではなくなる。
食を慎む人は、食事だけでなく何事も無駄に浪費することをしない。
ゆえに天地は、その人にもっと多くの恵みを与える。
それによって寿命が自然と延びるのだ。
貧乏短命の人相の人でも、何事も慎み深く倹約する人は、相応の幸福があって長生きする。
極悪貧乏の人相でも、粗食・倹約により吉となった例
(修身録一巻)
極悪貧乏の人相でも、慎み深く倹約する人は、良い人相に変わることが多い。
大阪の堂島に住喜という人がいて、若い頃は博打を職業とした放蕩無頼の生活を送っていた。
その男は大変な極悪貧乏の人相で、身体障害の相もあった。
しかし若い時から物を粗末にせず、職業上大金を稼いだ時も、散財することはあったが贅沢な食事はせず、いつもお粥ばかり好んで食べた。
川を流れる物・地面に落ちている物を拾ってきて、木材は焚き火の材料にして、食物は自分で食べ、大食することはなかった。
そして無学だったが、自然と徳を積んで、晩年は幸福になった。
この例からしても、人相・手相は重視しなくて良い。
自福自徳
(修身録一巻)
たとえ貧乏の人相でも、身の程を知り、貧乏の者らしく食を慎むなら、次第に貧乏から抜け出して相応の財産を得る。
これを自福自徳という。
もし貧乏な生活をしていても、自分の一生分の貧乏を先に体験してしまうなら、その後は幸せになる。
しかし貧乏から目をそらして見栄をはり、財産があるようなふりをすると、徳を失ってますます貧乏となる。
これでわかるだろう。
人にとって大切なことは、幸せになることではなく、天地に徳を積むことなのだと。
徳を積めば、自然と幸せになるものなのだ。
結論:身の程を知る
貧乏が悪いのではありません。
貧乏であることを受け入れ(身の程を知る)、慎み深く倹約すると、いつのまにか貧乏の壁は消えてなくなっている、と南北は言いたいのです。
倹約によって自分の欲望を制御すると、徳が貯まります。
「食の慎み」ができる人にとって、倹約は簡単なことです。
住喜の話は、彼の謙虚さ・慎み深さを窺い知れてとても好きです。
「少食・倹約すると吉」と言うのは簡単ですが、実行し続けるには強い意志が必要です。
住喜は粗食・倹約によって意志が強くなったのか、意志が強いから粗食・倹約ができたのかわかりませんが、私にとって見習うべきところがたくさんあるお話なので、紹介しました。
参考文献
(訳)玉井禮一郎「食は運命を左右する」たまいらぼ/1984年
水野南北「開運の極意」
若井朝彦「江戸時代の小食主義」花伝社/2018年