慎みを守っていても、運勢が悪くなったらどうすれば良いのでしょうか。
それに対する南北の考えを紹介します。
「ピンチはチャンス」「夜明け前が一番暗い」という名言・ことわざに通じるものがあります。
修身録の中で私が好きな話の一つです。
慎む人に起きる困難は、天からの励ましである。
(修身録三巻)
一つの道に優れた人は、慎みをかたく守っていても、天がさらに苦しみを与えることがある。
これはますますその道を究めさせるためである。
大人物は困難をものともせず、ますますその道に励むので、ついには天下に名を成す。
小人物は迷って慎みを破り、天を恨む。
ゆえに苦しむことが増えて、波乱の人生を送る。
たとえ小人物であっても、飲食の慎みを厳しく守ると心は乱れない。
心が乱れなければ次第にうまくいき、目的を達成することは確実だ。
だからまず飲食を慎み、そのうえ善行を積み重ねて天運を待ちなさい。
運はめぐる。
吉凶ともに自分がした結果がめぐって来るのである。
運は報いである。
自分が楽しみを極める時は、苦しみの報いがめぐって来る。
運は運ぶ。
自分がした善事が小さくても、これをだんだん積み重ねていくと、ついには世のためになる大きな善事を成し遂げる。
願望実現には対価が必要
「物事は振り子のように左右に同じだけ揺れる」という法則があります。
ゆえに大きな願い(+の要素)を叶える前に、大きな困難(-の要素)を体験するのです。
順番的に、困難発生(-の要素)→願望実現(+の要素)となります。
逆の例としては、宝くじに当たった(+の要素)人がその後不幸になる(-の要素)ケース。
これは受け取った「+」に対応する徳を積んでいなかったので、バランスを取るために「-」の出来事が起きるのです。
私は「どうでもいいような小さい願望を持つ・叶えることはやめた方が良い」と考えます。
どうせ願望を持つなら、叶った後の達成感・幸福感が5年・10年先まで続くようなことに絞った方が、エネルギー的な無駄が省けます。
そう考えるのは願望実現には対価が必要だと、体験上知っているからです。
私の体験談として、良いことが起きたのに自分にその器が無かったために、その後バランスを取るように悪いことが起きて完全に相殺されたことがあります。
自分に器があれば、その状況でも誘惑に負けなかったでしょう。
でも誘惑に負けたということは、私にその器が無かったことの証左になります。
今は、願いを持つ・叶えることをあまり重視していません。
それよりもだらしない方に行かない・誘惑に負けないことを重視して、その結果として良い流れに乗るという方向性で生きています。
参考文献
(訳)玉井禮一郎「食は運命を左右する」たまいらぼ/1984年
水野南北「開運の極意」
若井朝彦「江戸時代の小食主義」花伝社/2018年