あなたは高尚であり低俗である、それでいいのだ

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【目次】

  1. 「エネルギーの流れ」に飛びこむ
  2. シュワッ・・・と泡のように消える
  3. プラスはマイナスがなければ存在できない

「あの人はなんで、いつもああいう態度なんだろう」

「なんであんなに仕事適当なの、頭スポンジなの」

他の人間の言動に対して良い悪いを判断するというゲームが、地球で流行し始めて何千年ですが、皆さまにおかれましてはお変わりなくお過ごしでしょうか。

私は飽きもせず、悩み・怒りと戯れておりますが(遊ばれてる、の方が正しいか)、そうやって日常的にコツコツ自分に向きあう機会を得ております。

今回は、ホ・オポノポノとかセドナメソッドとかやって浄化してるのに、「怒り」の感情がなくならない、と悩む方に向けた記事になります。

「エネルギーの流れ」に飛びこむ

「相手がどう思うか、もう少し考えてからモノ言ってよ」

一週間に一回はそういう現実を体験しております私です。

最初からこういうことを書くと、おそらく読んでくれる方はガッカリするでしょうが、それでいいのです。

そうやって皆さんの「この記事読んだら、人生変わるかも」とかいう希望を、コテンパンに宇宙の藻屑レベルに打ち砕くのが管理人の狙いです。

暇つぶしに読んでみるか~、と「期待しない」心境になった方は以下読み進めてください。

それと、いつものように「おまえが言うな」的なことばかり書いてますけど、ここの管理人はそういう人間なんだと思って、あなたが大人になってあきらめるが吉。

迷えるスピの森

人生に対する悩み・苦しみが生まれた時、外側ではなく内側にすぐ入っていける人はほとんどいないと思います。

色んなワードで検索して、救いを求めて本・ブログを読んだり瞑想・メソッドをして、人はうっかり迷えるスピの森に足を踏み入れます。

歩き出して最初の頃、特に自分に自信がない時は、自分をほめまくって自分の長所に目を向けるのがいいです。

開きなおって言葉の限りをつくして、自分をほめたらいいです。

でもスピの道を少し歩きだすと、自分の中の「善」なる部分に自信が出てくるでしょう。

だんだん怒らなくなってきて、人に対してもっと優しくできるようになって、「なんだか私、変わったみたい・・・」

それでまわりの怒ってる人に対して、ちょっとした違和感・距離感を感じる。

マゾヒスティック、やらないか

精神性の階段をある程度あがって浄化がすすんだ、と「自分では」思ってる人(書いてる私が一番あてはまってるっていう)。

自分の中には悪とか闇とかもうない、って思ってますか。

良い気分だけに集中してるからもうないはず、っていう人。

残念だけど、あると思う・・・、高尚の極みみたいなイエス・キリストだって、人間としての悩み・怒りはあったよ、絶対に。

悩み・怒りがないなら、「人間」やってないから。

でもイエス・キリストがみせたっていう奇跡は信じてる。

逆に、制限がたくさんあるこの地球で人間として奇跡を起こしたっていうところに、あの人がどれだけ強く神様を信じていたか、神様の道具になっていいっていう素直さを愚直に持っていたか、が表現されてる。

偉大な人が持つその単純な素直さが、いつも私を感動させるんだよね。

それで、どんなに高尚な人でも怒りの感情を味わうんだから、私たちも感情のエネルギーが流れるのを素直に受け入れてみませんか、っていうのが今回の趣旨なのです。

傷口に塩をぬるような痛みを感じるかもしれないけど、あえて痛みという「エネルギーの流れ」に飛びこんでみる。

ぬるま湯から抜け出して、ちょっとやってみませんか。

自分の内側の、光に対する闇・善に対する悪・天使に対する悪魔・高尚に対する低俗、をあえて見る。

目を背けたい部分・なかったことにしたい部分・切り捨てた部分に、勇気をもって「意識の光」をあてるんです。

マゾヒスティック、やらないか。

シュワッ・・・と泡のように消える

ところでこのブログ、毎回のように「コツコツ」って書いてますけど、私は別に骨じゃなくて人間なんです。

コツコツって職人みたいで、好きなんですよね。

ひたむきに・ひたすら、とか愚直っていう言葉も好きだなあ。

それ系の言葉を見るとなつかしい気分になるので、過去世で「ひたすら愚直にコツコツ働く鍛冶職人」だったと思うんです(ワード全部もりこんでブログの説明文に使ったら、強力な魔除けになるな)。

RPGの登場人物になれるんだったら鍛冶屋やりたい、「時価」で。

相手の足元を見て値段かえまくる悪徳鍛冶屋やりたい、時価で。

話が脱線しました、すみません。

何を言いたいかっていうと、「あんな人だと思わなかった」と他人に思った時、その「あんな」部分は自分の中にあるということです。

「あの鍛冶屋、いがいにいい仕事するよね」って噂きいたら、信用できそうでしょ?

でも、いざ依頼しようと店に行ったら店内の貼り紙に「当店、時価」と書いてあったら、ドン引きするでしょ。

「でも、お高いんでしょう・・・?」とか思うでしょ?

相手に対してドン引いた時、不快な気分になった時、腹の底から怒りがこみ上げた時。

その時までは、おだやかで冷静な部分で対応できていたのに、怒り・攻撃的な部分がアップをはじめた時、一般的には負の感情として嫌われる「エネルギー」が、あなたの中を流れるのをただ感じてください。

この時に、「私は愛です」とか「私は光です」とかアファメーションする必要はありません。

むしろ、しなくていいです。

なぜなら、否定的と思われる感情こそが、迷子になっているあなたの一部分がいる所まで、あなたを連れていってくれるからです。

マイナスをおそれないでください。

なれない内は、胃のあたりに重苦しさを感じたり、息苦しくなったりすると思います(私の場合です)。

自分が傷つけられたように感じるかもしれません。

でもつらくてもその感覚に浸って、「エネルギーの流れ」をそのまま受け入れていると、重苦しさがシュワッ・・・と泡のように消える瞬間がきます。

ただ感情に浸るだけですが、人によっては呼吸が苦しくなって過呼吸っぽくなるかもしれません。

その時は中断してください。

もし消えるその瞬間までたえきれなくて、途中で向き合うのをやめてしまっても大丈夫です。

たとえ数秒でも、怒り・憎しみの感情に向きあったご自分をほめてあげてください。

最初からシュワッ・・・ってなるまでやれそうなら、その瞬間まで浸ってみてください。

プラスはマイナスがなければ存在できない

大いなる勘違い職人

ところでご存知のように私は、スピ歴が無駄に長い、たくさんのメソッドを知っている、というまったく腹のたしにもならない過去を持っておりますが、それが役に立つ場合があります。

良く言うと「急がば回れ」、悪く言うと遠回りなのですが・・・。

つまりスピの知識がある・メソッドに詳しい、ゆえに「自分は普通の人よりも精神的なレベルが高い」「まわりは何もわかっていない」「自分は高尚で、他はみんな低俗な人たちばかりだ」という大いなる勘違いをしてしまう事です。

勘違いして、さらに勘違いして、なのに勘違いしてることに気づかなくて、どんどん勘違いを重ねて、それでも気づけなくて、さらなる高みを目指して勘違いして、ついに勘違いの匠(たくみ)になるのです(しつこい)。

ひたすら愚直にコツコツ勘違いする勘違い職人のできあがりです。

いやそんなにひどくはなかったと思うけど、一時期なんか使命感みたいなのでのぼせ上がって「光の存在になるんだ」って。

チャネリングの能力を開くハウツー本も読んだ・・・、でも1ミリも開かなかった・・・。

耳鳴りひどくなって、こわくなってやめた。

私の低俗な好奇心が、守護霊の強い意志に負けたってことでしょう。

「なんでこんなやつの守護霊やらんといけないのか、わし、もう飽きたわ」とか思ってたらごめん。

もうちょっと本気出して毎日コツコツ「調和」選んでいくから・・・(10年前も似たようなこと思ってたけどね)。

勘違いも人生の体験で、私自身そうやって勘違いする時代があったから、他の人の勘違いを見ても「いずれ過ぎ去る」って思うんです。

それに「あの人勘違いしてる」って思っても、その後の展開で「勘違いしてたのは私の方だった、あの人の方があってた」って思うこともあるしね(私はありまくった)。

だから好きなだけ勘違いしていいのではないでしょうか。

エネルギーの流れ

どんなに精神性を高めても、マイナスのエネルギーから逃れることはできないでしょう。

たくさんの本を読みましたが、私なりの基準(寛容・謙虚さ・節度・奉仕の精神・深い信仰心)で何度も読み返した本のいくつかに、「人生にはプラスとマイナスが必ずあり、プラスに動くということは、同じだけマイナスにも動くが、おそれることは何もない」という意味のことが書いてありました。

本に書いてあるから信じるわけではありません。

私の人生の「体験」が、それが答えだと言うのです。

高尚な自分を維持しようとしても、人生は「エネルギーの流れ」なので、高尚さと同じだけ低俗な自分に揺れようとするでしょう。

エネルギーを一つの場所にとどめることは不可能です。

そもそもエネルギーは動き、流れるものなので、とどめようとすれば歪みが生まれます。

マイナスの側に揺れようとする「エネルギーの動き」をそのまま受け入れてください。

今までおそれていた「エネルギーの流れ」を受け入れることを決めた時に、あなたは人生をマスターする道の一歩を踏み出したことになるのです。