南北は倹約を良しとしますが、倹約とケチの境界線てよくわからないものです。
自分では倹約しているつもりが、実際は単にケチな行為だったら…。
人間が陥りやすい誤解・思い込みを、南北先生がわかりやすく説明してくれます。
【目次】
倹約=無駄を省く
(修身録三巻)
「倹約しているのにまわりには悪く思われ、使用人も長続きしない。倹約しない方が良いのか」という問に対する南北の答え
あなたのしていることは倹約ではなくケチだから運勢的に悪いのだ。
本当の倹約は、物事の本質を大切にして、無駄を省くことである。
しかし小人物は倹約と言いながら、使用人の食事に対してケチになり、出すべき交際費を出さず、施すべき時に施さないのは、倹約ではなくケチというのだ。
(中略)
あなたのような人は倹約すべきでない。
ただ無駄を省いて、使用人に対してはケチケチせず、自分だけは飲食を慎みなさい。
一家の主人は、天地の徳のありがたさを忘れず、それを家の者に説いて聞かせ、手本となるように自分だけ倹約を実行しなさい。
そうすれば自然と家の者は倹約を守り、世間の人はあなたを賢人とみなすだろう。
「自分」の慎みがすべて
慎む行動で、まわりを感化する
他にも、家運が衰えた時はその家の「主人」が食を慎めば収入が増えて家運も良くなる、と南北は言います。
つまり「食の慎み」は主人一人が行い、それ以外のものには強制しないということです。
その他の人(家族・使用人)の意思を尊重し、慎む行動によって影響を与えて自分から慎むように向けるんですね。
相手の自由を尊重するこのやり方は遠回りですが非常に効果的で、南北の深い考えがあらわれています。
倹約「させられている」より「したいからする」方が、その人の意志を強くしますし食以外の慎みも捗ります。
逆に、食の慎みを家の人に強制したり、出すべき交際費・施しを出し渋ることはケチな行為で凶、と南北は言います。
これはうっかりすると倹約のカテゴリーに入ると勘違いしやすいので、注意が必要です。
自分の慎みの結果を、他人に差し出す
この話は特に南北らしさがあらわれています。
私がイチオシの名言、「人を占うことは、つまり自分の慎みである」と共通する内容です。
「自分」は節約するけど「他人」に出し惜しみしないって、シンプルで力強い生き方だと思います。
自分で実行するには、誘惑に負けない強い意志が必要ですけど。
今回の話は、人間の生き方として完全な実行は難しいかもしれませんが、できる範囲で実行したいです。
少しでも多く南北の考え方を自分の人生に取り入れて、丁寧に毎日を過ごせたらいいですね。