【水野南北】衣服・住居を慎み、物を大切に使う

家庭

「食の慎み」は大切ですが、それを守っていればその他は贅沢しても良いのでしょうか?

現代では洋服にお金をかけたり、インテリアにこだわる人がたくさんいます。

人間の心には、華やかなものを好む部分がありますから。

しかし我らが南北先生は、衣服・住居においても「慎み」を説きます。

さらに、「物の扱い方によって、その人の人生がわかる」と言います。

【目次】

  1. 衣服・住居は相応の美は吉だが、過ぎたるは凶
  2. 物の扱い方に、その人の一生があらわれる
  3. 水と火の使い方
  4. 日々の暮らしを大切にすることが、幸せな人生に繋がる

衣服・住居は相応の美は吉だが、過ぎたるは凶

(修身録三巻)

「食を慎めば、衣服・住居は贅沢でも良いか?」という問に対する南北の答え

衣服・住居は身のほどに合うものが吉である。

身分以上の贅沢をする人は、表面を飾る人であり、苦労が多い。

衣服・住居に関して慎み深く、身分より簡素に生活している人は、その徳が内側に満ちてくる。

ゆえに見た目ほどの苦労はない。

また慎みがなく、贅沢な食事をする人は、衣服・住居などの外見を飾って、徳があるように見せかけて人の目を欺く。

飲食を慎む人は、身の程を知って華美を避ける生活をする。

これをみても、衣食住の中で食が基本になることは明らかである。

食は内側にあって陰・静であり、華美でないことが吉、驕りは凶である。

衣服・住居は外側にあって陽であり、それ相応に美しいことを吉とするが、過ぎたるは凶である。

物の扱い方に、その人の一生があらわれる

(修身録一巻)

物が新しい間は大切に使うが、古くなるにつれて粗末にする人は、物に対する心がない。

色々な道具を、新しい間は若い召使のようにかわいがるが、古くなると老いた召使のように捨てる。

これではまったく誠意がない。

陶器なら穴を掘って埋めてやる。

木製の道具なら燃やして自然に戻してやる。

家来の最期を見届ける主君のような心得がある人は、人相とは関係なく、必ず誠実な人である。

毎日自分がすること、物の扱い方で、あなたがどういう人生を送るのかわかる。

心の相とは、つまりこういうことである。

相は、その人だけにあらわれるのではなく、むしろ万物にあらわれる。

ゆえに人相だけみても、無意味なのだ。

水と火の使い方

(修身録一巻)

長生きの相の人でも、水を無駄に使う人は長生きできない。

長生きしても次第に貧しくなり、晩年の運勢は悪い。

また、灯火の明るいのを好み、油を無駄に使う人も長生きできない。

良い人相でも、火を無駄に使い、また火を粗末にして、足で踏みつけて消す人がいるが、こういう人は一生、出世・成功できない。

火は日(太陽)であり、火を踏むことはつまり太陽を踏み、天帝をぞんざいに扱うのと同じだ。

また火は物をあたためるために必要で、生命にとって一日も欠かすことができない。

火の熱を粗末にすれば、何事も熟することがなく、うまくいかないだろう。

太陽の火には物事が良くなる気がある。

よってこれを無駄に使う人は、物事が良くなる気を失う。

飲食の慎みがない人は、火の尊さに無関心で、良い機会(木生火:相生)を失う。

ゆえに生涯困難(相剋)が絶えない。

日々の暮らしを大切にすることが、幸せな人生に繋がる

衣服・住居について話していますが、やはり「食の慎み」に立ち戻っています。

確かに食欲は三大欲求の一つで非常に強力なので、これをコントロールできる人にとっては衣服・住居をほどほど、さらには倹約するなど簡単なことです。

その精神は衣服・住居だけでなく物の使い方・生き方にもあらわれるので、どんどん徳がたまっていくのでしょう。

「食の慎み」という根幹がしっかりしていると、衣服・住居・物の扱い方などの枝葉も自然と整ってくる、と南北は考えます。

こうしてみると、やはり一日一日の積み重ねが人生なので、「毎日を丁寧に過ごす」ことが肝要ですね。