人生にメンターは不要。尊ぶべきは自分の「人生」

学校

「自分に自信がない」すべての人に向けて、この記事を書きます。

スピ系の一部では、「メンター(心の師)」に師事することが流行しておりますが、私は声を大にして言います。

「絶対に生きてる人間をメンターにするな」と。

精神世界にはまって10年の私が、過去を振り返りながら、生きてる人間をメンターにすることの危険性を主張します。

【目次】

  1. メンターは、あなたの「外」にある
  2. 有名人をメンターにしない
  3. 自分の「弱さ」を愛する

メンターは、あなたの「外」にある

この世界にはシンプルだけど絶対的な真理がいくつかあります。

このブログで特に強調している真理は以下の2つです。

  • 自分の内側にあるものが、外の世界に投影する
  • 物事は振り子のように、同じだけ左右に揺れる

スピ系にはまって10年たっても何の特殊能力も開花しなかった私ですが、この2つは本当のことだと確信を持って言えます。

なぜならこの2つの法則に関して、本の知識と「自分の体験」がきちんと整合したからです。

この2つに関して色んな本が色んな表現を使って説明していますが、本質は同じなのでそんなにたくさん本を読む必要はないです。

自分の内側にあるものが、外の世界に反映する

逆から言いますと、「外の世界で何かを見たら、それは自分の内側にもある」ということです。

ということは、外の世界でメンターがもっともらしいことを言っていたら、その知識は「自分の内側に既にある」ということです。

内側にあるものと外側にあるものが呼応した結果、メンターの主張に関心を持つのです。

だから誰かの意見に対して感銘を受けた時でさえ、その言葉・主張を血肉化するにとどめて、その人とは適切な距離を取った方が良いです。

他人の主義・主張と同じ部分が「自分の中にある」のですから、他人をメンターにする必要性がそもそもありません。

それより「自分との対話」、つまり「自分が本当は何を考えているのか」を探求してください。

物事は振り子のように、同じだけ左右に揺れる

人間の中には「迷う」部分・「弱い」部分・「人に頼りたい」部分・「自分で責任を取りたくない」部分があります。

しかし逆にそれらと同じだけ、「揺るぎない」部分・「強い」部分・「自分を信じる」部分・「自分で責任を持とうとする」部分があります。

これは法則から言って当然のことです。

だから精神的に弱くなっている時でもそういう自分を認めた後で(必ず受け入れてから)、強い部分があると信じてください。

それに、あなたの中にはたくさんの部分がありますが、それらは共通して「あなたの幸せを願っている」のです。

部分によって、あなたを幸せにするための最善の方法(主義・主張)が異なるので、ある時はAの行動を取り、別な時はBの行動(AとBは正反対)を取るのです。

自分の部分と向き合って一つ一つ統合していくと、自分の内側に「調和」が増えて、もっと自分を信じることができるし、もっと強くなれます。

▽関連記事:大義名分は「あなたの幸せ」

有名人をメンターにしない

百歩譲って生きてる人間をメンターにするとして、その場合でも以下の2点を念頭においてください。

  • 有名人をメンターにすることは避ける
  • 名の知れた人をメンターにするなら、接近しない

これには次の理由があります。

  • 相手の「名誉欲」の問題
  • 自分の「依存心」の問題

相手の「名誉欲」を刺激する

師事する側の人間は、結局のところ相手の「名誉欲」を満たす存在でしかありません。

メンターといっても同じ人間です。

人間である以上、多かれ少なかれ「名誉欲」はあるのです。

人から信頼され敬われ、謙虚でいられる人間がどれほどいるでしょうか。

こんなことを書いている私だって、人から「先生」と呼ばれたら悪い気はしません。

そしてそれが続いたら、心の中に「うぬぼれ」が生じるでしょうね。

精神世界を知って10年選手の私でさえ、まだまだ「弱い」部分がありますから。

「弱い」部分は、「他人からの承認」によって刺激されます。

最初は尊敬に値する人でも、「驕り」によって俗物になることだってあるのです。

他人に対する「依存心」が強まる

メンターなんか持つことより、「自分を信じる」ことの方がずっと重要です。

あなたの中には「揺るぎない強さ」があるのです。

その強さを選択・行動の拠点にしてください。

そうしたら、成功しても失敗しても「自分が選んだ」行動の結果として、あなたは納得できるはずです。

でも、メンターの言う通りにして成功したら、あなたは相手に依存し始めます。

反対に失敗したら、メンタージプシーになるでしょう。

そして失敗を他人のせいにすることが癖になるでしょう。

それにメンターと親しくなった場合、「有名人と知り合い」という事実に価値を持たせる危険があります。

それは本当にすごくどうでもいいことなのに、なぜか価値あることに思えてしまう不思議さがあります。

「有名人と知り合い」というラベルの中毒性は、とても強いです。

私たちは人間をやっていて、たくさん「弱い」部分があるんですから。

「虎の威を借る狐」の部分は誰にでもあるのです。(私にも)

そういう部分は環境や生活リズムによって活性化したり、沈静化したりします。

自分の「弱さ」を愛する

人間やってると、人前ではきちんとしていたいですよね。

人の目が気になったり、評価が気になったり。

スピ系10年の私でも、そういう「弱い」部分があります。

気にしないと思っていても、どこかでやっぱり気になっている。

でも弱い部分があってもいいじゃないですか。

情けない部分があったって、それがどうだっていうんですか。

他人があなたの人生に責任取ってくれますか。

誰かがあなたの失敗や弱さを笑ったって、あなたの価値は絶対に変わりません。

それを私は断言します。

少なくとも私は笑えないです。

人には個性があって、人生には波があって、そういうこと全てが人生を尊いものにするんです。

他人の強さを借りて「自分の弱さ」をカバーする必要なんて、全然ないです。

人間の中にはたくさんの部分があって、「物事は振り子のように、同じだけ左右に揺れる」のです。

それが人間の美しさです。

「強い」部分と同じだけ、「弱い」部分だって尊いんです。

その部分は、あなたが向き合ってくれるのを待っています。

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