「長く浄化(セドナメソッド、ホ・オポノポノなど)を続けているのに、まだ怒りを感じてしまう」と悩む人がいたら、「怒りを感じても大丈夫だし、何の問題もない」と言いたいです。
怒りを感じることを、拒否しないでください。
周囲の目を気にして怒りに蓋をしたをすれば、体の中にエネルギーの停滞が生じます。
怒りは自然な感情なので、怒りを感じる自分を恥じる必要はありません。
【目次】
浄化のプロは怒りを感じないのか
聖人も君子も怒りを感じる
人がセドナメソッド、ホ・オポノポノ、ブレインダンプ、ハーモニーベルなどの浄化の方法に取り組むのは、自分を変えたいからです。
特に「怒り」をどうにかしたいと思って、浄化に取り組む人が多いと思います。
それでは浄化を長く続けたら「何があっても怒らない、聖人君子のような人」になれるのでしょうか。
それは無理だと断言します。
「怒り」を感じないことは、どんな人格者であっても不可能です。
そもそも聖人も君子も人間ですから、人間にとって自然な感情である怒りを感じることはあります。
ホ・オポノポノのプロでも怒りを感じる
(前略)車一台がやっと通れるくらいの細い道(中略)を通るのですが、たまに反対から対向車が入ってくることがあります。とても急いでいるときは、一瞬「何やってるのよ!下がって!」と言いたくなったり、その道自体にイライラを感じたりもしますが、瞬時にクリーニングをする(後略)
□これだけ長いことクリーニングをしていても、まだまだいろいろあります。
例えばご近所のみなさんともね。
引用:カマイリ・ラファエロヴィッチ/平良アイリーン「ホ・オポノポノライフ」講談社・2011年・P41/42/49
この方はセッション・ワークも開催していて、40年以上クリーニングを続けているホ・オポノポノのプロです。
そういう精神世界の「指導者」「他より進んでいる人」でも、対向車に怒ったり、近所の人といろいろあるという体験をするのです。
だから浄化の年数が浅い私たちが、怒ったり人間関係のトラブルを体験しても、何の不思議もないわけです。
怒りは「傷を癒やす機会」を与えてくれる
人間が体験することには、すべて意味があります。
ですからあなたが怒りを体験するということは、その怒りには意味があるのです。
色々な出来事・感情を通して、人間は自分の内側にあるものを知っていきます。
怒りを感じるのは、ある出来事が自分の中に傷を残しているので、「傷を癒やす機会」を与えてくれているのです。
怒りは心の扉をノックして「今が思い出から解放される時です」と伝えます。
湧き上がる怒りに抵抗しないで、受け入れ、流していく。
それが人間と怒りの自然な関係です。
そうやって、あなたは内側にある「調和」の量を増やしていくのです。
浄化の効果
浄化によって内側にある「感情」の停滞が解消すると、投影先である現実世界「調和」の取れた状態に変わります。
その変化は法則的・自動的です。
浄化の効果としてそれで十分ではないですか?
「怒らない人」「問題がまったく起きない人生」になったら、人間は魔法を使えなくなります。
「内側を変化させることで、外側を変える」という魔法です。
浄化を続けると怒りを感じなくなるのではなく、「怒りが教えていること」に気づきやすくなります。
つまり、あなたはもっと上手に魔法を使えるようになる、ということです。